農業共同体見聞録&農業共同体設立記

日本中の農業共同体、農業コミューン、エコビレッジ、農業シェアハウスの訪問記と、東京都西多摩郡檜原村での古民家シェア&ゲストハウスと里山シェアリングの設立記!

農業共同体見聞録11 宮沢賢治 羅須地人協会

~訪問記~

 次の訪問先の現存する農業共同体ではありません。昭和初期、岩手県花巻市で作家【宮沢賢治】が設立した、ユートピアイーハトーブ」への試み、「羅須地人協会」です。

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

 

f:id:matsuken1212:20161111013525j:plain

 

・1日目

 10月31日(月)、前夜、函館から青森までフェリーで渡り、青森市内で車中泊し、今日は青森から秋田を通過して岩手へ行き、宮沢賢治の『羅須地人協会』を見学し、宮城経由で山形へ行き、古民家シェアハウス「つぶ亭」に泊まります。昨日に続き、超長距離移動になります!移動の詳細は割愛して、早速、『羅須地人協会』です!

 

f:id:matsuken1212:20161111013656j:plain

函館で乗ったフェリー

f:id:matsuken1212:20161111013806j:plain

青森を走る、奥羽本線

 

 羅須地人協会は1926年、岩手県花巻市の宮沢家の別宅で作家・宮沢賢治が設立した、近隣農家に農業、科学、芸術などを教える私塾です。世間の誤解によって半年程で活動を休止、自信の病気で再開は出来ませんでした。ですが、宮沢賢治の農業や芸術や科学に対する考え方、理想・思想とその実践が表れた、特徴的な活動でした。

 

 

花巻市は、東の岩手を東西に分ける北上山地と、西の岩手・秋田を分ける奥羽山脈に挟まれた北上盆地にあり、南北に北上川が走る田園地帯です。協会の建物は花巻空港北上川に挟まれた、花巻農業高校の中にあります。

 

f:id:matsuken1212:20161111013919j:plain

花巻空港

f:id:matsuken1212:20161111013931j:plain

花巻農業高校

 

 羅須地人協会の建物は、もとは宮沢家の別宅で、木造2階建て、1階は10畳と8畳の2室、2階は8畳の1室があり、協会で使った1階の10畳の洋室は、当時の様子が再現されていて、黒板や椅子、オルガンや本棚が並べられていて、当時の雰囲気を知る事が出来ます。

 

f:id:matsuken1212:20161111014029j:plain

羅須地人協会

f:id:matsuken1212:20161111014113j:plain

1階洋室

建物周辺の庭園には、宮沢賢治の像や、宮沢賢治が発表した、「農民芸術概論要綱」の石碑、花巻農学校精神歌詩碑、などが並んでいます。また、花巻市内各地に、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、宮沢賢治イーハトーブ館などの関連施設が有り、宮沢賢治の足跡を辿れます。

 

f:id:matsuken1212:20161111014743j:plain

宮沢賢治記念館

f:id:matsuken1212:20161111014800j:plain

山猫亭

 

 宮沢賢治は作家として有名ですが、同時に在野の農業人であろうと努めた人でした。1896年、花巻市川口で生まれ、岩手県立花巻農学校の教諭となり、農家の子弟を教育します。ですが、彼には葛藤があったといいます。農家の子弟に「農民になれ」と教えながら、自分は教職に就いて、給与を貰っている事に矛盾を感じていました。

 

1926年春、花巻農学校を退職。宮沢家別宅を改装し、自給自足生活を始め、同年8月、近隣の若い農家と共に、羅須地人協会を設立しました。昼間は田畑を耕し、夜は協会で講義を開き、集まった農家らに農業技術や自然科学や芸術を教えました。「農民芸術概論要綱」も発表、楽団の結成を考え、楽器の練習をしていました。

 

f:id:matsuken1212:20161111014553j:plain

農民芸術概論要綱の碑

 しかし協会の活動が社会主義教育と誤解され、警察に事情聴取され、1927年3月、協会の活動を休止します。賢治はその後も、農業指導や肥料設計は続けましたが、1928年夏、病気を患い、実家での療養生活に入ります。

 その様な中で『雨ニモ負ケズ』の詩を書き、創作活動を続け、近隣農家の相談に乗りながら闘病を続けますが、1933年9月、自宅で家族に看取られながら死去。遂に賢治の死まで、協会の活動は再開されませんでした。

 

f:id:matsuken1212:20161111014701j:plain

宮沢賢治の像

 

 ですが、賢治は、死の前日まで近隣の農家の農業の相談に乗っていました。協会の活動という形はとらずとも、最後まで、故郷の花巻に、「イーハトーブ」の地に農業を通じて貢献しようという想いがあったのでしょう。

 彼が勤めた花巻農学校は、現在は花巻農業高校となり、羅須地人協会の建物は、花巻農業高校の敷地に移設されています。花巻の地で農業を学ぶ生徒達を、宮沢賢治は今でも見守っているかもしれません。

 

f:id:matsuken1212:20161111014423j:plain

花巻の田園地帯

農業共同体見聞録10 平民社農場

~訪問記~

次の訪問先も現存する農業共同体ではありません。「有島農場」の20年前、ニセコ町の近く、現在の留寿都村で設立された、社会主義者の農業共同体「平民社農場」です。

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

f:id:matsuken1212:20161110125629j:plain

 

~1日目~

 10月30日(日)、ニセコ町の有島記念館を後にし、次に向かうのは留寿都村の「平民社農場」があった、かもしれない、場所です。かもしれないと言うのは、留寿都村字泉川という地域にあった事までは分かったのですが、正確な場所が、ネット上を探しても所法がなく、留寿都村の観光課に問い合わせしても、分からなかった為です。

記念館とかも何も残っていません。と言う訳で、泉川周辺を適当に散策して、適当に写真を撮って、載せます。

現在の泉川地区は、南の竹山・貫気別山から、村営牧場のある丘陵地帯を抜け、国道230号線沿いのルスツリゾートなどのホテル、遊園地ゴルフ場が立ち並ぶ地域です。国道沿いと少し入った場所で写真を数枚撮ります。

 

f:id:matsuken1212:20161110125710j:plain

泉川地区

 

平民社農場は1904年、現在の北海道虻田郡留寿都村社会主義団体、平民社のメンバーが設立した農場です。

平民社は1903年、東京で幸徳秋水堺利彦が、平和主義と社会主義と「平民主義」を主張する新聞社として設立、社会主義運動の中心となりますが、1905年に政府の弾圧で解散、大逆事件で主要人物が逮捕されます。

平民社農場は1904年、現在の北海道虻田郡留寿都村の字泉川地域で原子基、深尾韶らが11.4haの土地を借り(北海道国有未開地処分法の適用を受けて)、入植。内地の政府の弾圧を逃れ、平民社の掲げるキリスト教社会主義の実践として、地主が小作人を支配する農場ではなく、自作農集団の社会主義的な農場の建設を目指します。

 

f:id:matsuken1212:20161110125741j:plain

ルスツリゾート

 

まず笹葺小屋を建て、森林を開拓しますが、農業素人集団で馬もいない為、初年の開墾は1.5haのみに留まり、収穫は自給自足するには足りず、東京の同志の支援を頼みます。おまけに、周囲の農家からは「東京からきた百姓でない百姓」「主義者の物好き」と馬鹿にされ、警察から社会主義者との情報も回り、信用されませんでした。

ですが、翌年も開墾の努力を続け、段々と周囲の誤解もとけ、逆に同情され、駐在巡査まで世話をしだします。前年と比べて作物の収量も増えました。しかし、火事で家屋が焼け、借金も発生。経済的に致命傷となります。火災後、脱退舎が続出し、翌年も開墾と農業は続けましたが、遂に3年目の10月、農場の解散を決定します。

 

f:id:matsuken1212:20161110125805j:plain

道の駅ニセコ

 

最後の年の事。彼らは農場や近くの村で幻灯会(昔のスライド映写機の上映会)を開いて、寄付を集め、足尾銅山鉱毒被害地・谷中村に送りました。また、彼らは、借金等で土地を失くした移住者や小作人を無料で宿泊させていました。自分達の暮らしが苦しい中でも、他者への思いやりを忘れない。それは平民社の精神の表れだったのでしょう。彼らの理想と実践は、有島武郎武者小路実篤らの、農業共同体活動の先駆けとなりました。

 

ではでは、次の目的地、札幌に向かいます。その後は中山峠を戻って、留寿都洞爺湖を抜けて、豊浦から内浦湾沿いに函館に行き(一般道路で)、フェリーで青森に渡ります。残り半日で。

 

f:id:matsuken1212:20161110125833j:plain

留寿都南方、洞爺湖

農業共同体見聞録09 狩太共生農團・有島記念館

~訪問記~

 次の訪問先は現存する農業共同体ではありませんが、日本の農業共同体の先駆けともいえる「有島農場」です。

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

 

f:id:matsuken1212:20161110001058j:plain

 

・1日目

 10月30日(日)、9時過ぎに余市のビバハウスさんを出発して、南下して、余市赤井川村の間のトンネルを抜けると…突如一面、雪景色に!余市は紅葉シーズンくらいだったのに、いきなり真冬!びっくりしました…。

 

f:id:matsuken1212:20161110001436j:plain

突然の雪景色

 

 慎重に走りつつ、赤井川村を抜け、羊蹄山を眺めつつ倶知安町を抜け、ニセコ連峰を眺めつつニセコに入ると、有島記念館に到着です。元は「狩太共生農團」という組織でしたが、解散し、今はその記念館が残っています。

 

f:id:matsuken1212:20161110001149j:plain

蝦夷富士」羊蹄山

 

 私は北海道にいた頃、有島記念館に何度か来ましたが、写真撮影と資料購入の為に訪れました。でも、ここは何度来ても素敵な所です。ニセコの大自然と大正の浪漫が生み出す空気が何とも言えません…^ω^

 

f:id:matsuken1212:20161110001326j:plain

ニセコ連峰ニセコアンヌプリ

 

 

 狩太共生農團は戦前、北海道狩太村(現ニセコ町)で大正時代の作家、有島武郎が、農地を小作人達に解放し、設立した、土地共有、資材や機械の共同購入・共同利用、市場への共同・直接販売などを行った農民の組合です。

 有島武郎は大正時代の日本の有名な作家であり、幅広い執筆活動をしていましたが(代表作は『カインの末裔』『小さき者へ』『生まれ出づる悩み』『或る女』『一房の葡萄』など。武者小路実篤志賀直哉らと『白樺』発刊)、社会主義思想、トルストイクロポトキンに影響を受け、父、有島武(明治政府の官僚だったが、実業界に転身、成功した)から相続した、450ha (東京ドーム100個程) の農場を、小作人達に解放、共生農團としました。

 

 1949年の農地改革で農團は解散しましたが、有島農場があった地に、有島記念館や関係史跡が残っています。

 国道5号線からニセコ駅に抜ける道の右側に「狩太共生農團入口石碑(写真参照)」が立っており、入ると…

 

f:id:matsuken1212:20161110001521j:plain

狩太共生農團入口石碑

 

有島記念館(写真参照)、有島謝恩会館(写真参照)、旧有島農場事務所跡があります。旧有島農場事務所跡は、解放前は有島農場の事務所 兼 有島武郎の住居、解放後は狩太共生農團の事務所、解散後は初代「有島記念館」でしたが、1957年に火災で焼失。1963年に元組合員や地域住民の協力により、有島謝恩会館が建設されました。そして、1978年、ニセコ町有島武郎生誕100年を記念して、現在の有島記念館を設立し、今に至ります。

 

f:id:matsuken1212:20161110001558j:plain

有島記念館

f:id:matsuken1212:20161110001613j:plain

有島謝恩会館

 

 また、有島武郎小作人達に農場開放を宣言した、弥照神社(写真参照)、農場開放を記念して建設された、解放記念碑(写真参照)もあり、周辺には、かつて狩太共生農團だった農地(写真参照)が今も耕されています。

 

f:id:matsuken1212:20161110001704j:plain

弥照神社

f:id:matsuken1212:20161110001720j:plain

解放記念碑

f:id:matsuken1212:20161110001746j:plain

農場

 

有島武郎1920年頃、創作不振に陥り、その原因を、親譲りの財産、農場に依存する「悪い生活」にあると考え、それらを清算し、額に汗する生活を送る事で、自らの芸術を再生させる事を願い、農場開放を決心します。

1922年07月18日、弥照神社に小作人達を集め、小作人達が相互扶助的な自治組織を結成し、農地を共有する前提で、農地の無償開放を宣言。翌年、武郎は死去しますが、1924年、「狩太共生農團」が設立されました。

 小作人は出資金を出して団員となり、総会、委員会等の合議制で運営して、農地共有、共同購入、共同利用、共同・直接販売等の事業を行いました。昭和の農業恐慌、冷害、借金返済、戦時の統制経済、若者の出征、資材不足、と多くの苦難を一致団結して乗り越えますが、1949年第2次農地改革で解散させられてしまいました。ですが、今では記念館が建設され、有島武郎と団員達の理想と実践の記憶は、今もニセコの地に息づいています。

f:id:matsuken1212:20161110001804j:plain

有島武郎

 

農業共同体見聞録08 ビバハウス

~訪問記~

余市の農業共同体、3か所目は「ビバハウス」さんです。農業でひきこもりの若者の自立支援をしてます。 

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

 

 

f:id:matsuken1212:20161109113845j:plain

 

・1日目

 10月22日(土)、09時過ぎに余市エコビレッジの皆様とお別れし、といっても、私が10時過ぎ出発予定で、皆さんが09時頃に出掛ける為、私が皆さんを送り出すという良く分からない状況になりながら、送り出して、10時過ぎまで余市エコビレッジさんで農業共同体見聞録を書いて、戸締りをして、次の目的地へ出発しました!で、10分で到着。早い!次の訪問先も北海道余市郡の「青少年自立支援センター ビバハウス」さんです。

 

f:id:matsuken1212:20161109113845j:plain

ビバハウスの宿舎

 ビバハウスは、農業や地元での就業体験、集団生活を通して、ひきこもり等の若者の自立支援を行う団体です。北海道余市郡余市町余市教育福祉村内の、プレハブ小屋を繋ぎ合わせて建てた家で、代表の安達ご夫妻、スタッフさん1名(もう1名外部研修中)と、ひきこもり等の過去を持つ、10人前後の若者が共同生活をしながら、ビバハウスの農場での農作業や、地域のアルバイト等の就業訓練を通し、若者の自立、社会復帰を目指します。

 

f:id:matsuken1212:20161109114256j:plain

代表の安達ご夫婦とスタッフさん

 

 まずは宿舎で安達夫妻とお話しし、夫妻の経歴やビバハウスの歴史を伺い、お昼もご一緒させて頂きました。

 ビバハウスの代表の安達夫妻は、北星余市高校という、全国から中途退学者や不登校児を受け入れる私立高校(「ヤンキー先生」こと義家弘介さんの母校で、奥様の俊子さんは義家さんの担任でした)の教員でした。

 俊子さんの退職後、ある卒業生の女性を助ける為に、プレハブでの共同生活をスタートさせ、以来16年間、様々な問題を持つ若者と「365日24時間のまるで『野戦病院』のような日々」を過ごしてきたそうです。

 

 当初はこれでお暇する予定だったのですが、午後は旦那さんに余市町内を案内して頂き、泊めて頂ける事に!

 最初は宿舎から車で15分程のビバハウスさんの「モンガク農場」を見せて頂きました。7haの土地に露地とビニールハウスの圃場があります。ここで、若者達が農作業をしているそうです。まだミニトマトが取れました。

 

f:id:matsuken1212:20161109114500j:plain

モンガク農場

 

 そして、ワイナリーや、余市で初めて林檎の樹を植えた農家さんや、余市の昔の港湾の宿泊施設(国指定史跡、重要文化財)や、余市の海や、余市の山や、余市の農業地帯を見せて頂き、余市観光を満喫させて頂きました。

 

f:id:matsuken1212:20161109114015j:plain

余市の海

f:id:matsuken1212:20161109114035j:plain

余市の山

 

 その後、宿舎に戻り夕食を頂き、翌朝、朝食を頂いて出発しました。頂いてばかりで申し訳なかったですが(笑)明日はニセコ留寿都を経由して、札幌に行き、戻って豊浦に抜けて、函館に行き、青森に渡ります。1日で!

 

農業共同体見聞録07 余市エコビレッジ

~訪問記~

 余市の農業共同体、2か所目は「余市エコビレッジ」さんです。農業体験、エコカレッジなど面白い活動をしています。

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

f:id:matsuken1212:20161029175305j:plain

 

 

・1日目

 

10月26日(水)、余市余市エコビレッジさんにお邪魔しました。今朝までは「えこふぁーむ」さん、今日からは「エコビレッジ」さんです。名前も似てますし、地域もすぐ近く(車で5分くらい)ですが、別の所です。

 

f:id:matsuken1212:20161029175243j:plain

余市エコビレッジのあるモンガク谷

 

今朝は9時過ぎにえこふぁーむの牧野さんとお別れし、小樽で買い物や用事を済ませ、その後、余市に戻ってエコビレッジさんにお邪魔しました。

 

f:id:matsuken1212:20161029175305j:plain

シェアハウス

 

エコビレッジさんは、普通の農家さんや農業法人の様に生産、出荷が主要な事業、という訳ではなく、もちろん、農業はしますが、農業を通じて、農業体験や自然体験、エコな生活の講座、などを行いつつ、そこのスタッフさんが農場のシェアハウスなどで生活を送る、と言う様な形態の場です。

 

f:id:matsuken1212:20161029175354j:plain

スタッフ住居

 

今日は代表の坂本さんにお話を伺い、夕方から地元の温泉に、スタッフさんや地域の若者(と言っても、以前、エコビレッジにいた方)と一緒に行き、その後、シェアハウスでスタッフさんとキムチ鍋を作って食べました。

 

f:id:matsuken1212:20161029175442j:plain

ワインブドウ

 

農業というと、生産、出荷がメインである事が普通ですし、もちろん、エコビレッジさんもちゃんと農作業はしていますが、地域や地域外の人達も巻き込んだ、農業体験などをメインとする方法もあると、目から鱗でした。

 

f:id:matsuken1212:20161029180433j:plain

生食用ブドウ

 

・2日目

10月27日(木)も余市余市エコビレッジさんにお邪魔しております。今朝はシェアハウスで皆さんと朝食を頂き、葡萄の棚下ろしの作業です。が、その前に、倉庫に住み着いた、ノラ猫の赤ちゃんと触れ合いタイム。

 

f:id:matsuken1212:20161029175553j:plain

代表の坂本さんとノラ猫の赤ちゃん達

 

で、春〜秋は葡萄棚に葡萄の枝を吊るしていますが、冬の間も吊るしっぱなしだと、枝に雪が積もり、葡萄棚が潰れるので、地面に降ろします。副梢という、細い枝を鋏で切って、バンバン地面に引きずり降ろします。

 

f:id:matsuken1212:20161029175629j:plain

引きずり下ろす、スタッフのミナさん

 

続いて地元の体験農家さんの所にそば打ち体験をしに行きました!青い作務衣を着て、格好だけはそば職人になりきり、そば打ちです。…やけに太いそばになりましたが、生地の味が良いのでノープロブレム。

 

f:id:matsuken1212:20161029175651j:plain

格好だけはソバ職人松岡

 

その後、地元のワイナリーを二軒、見学させて頂きました。一軒は日本清酒が経営する、巨大なワイナリー、もう一軒は個人のワイナリーです。自分でお酒を作れるのは良いですね。…酒造免許か酒販免許取ろうかな…

 

f:id:matsuken1212:20161029175712j:plain

余市ワイナリー

 

で、エコビレッジに戻って、夕食を頂きます。昨日の鍋の残りで作った雑炊です。これまで訪問した場所では、ガッツリ農作業をしていましたが、農作業も終ってて体験も少ない時期だからここでは割とのんびりです(笑)

 

f:id:matsuken1212:20161029175728j:plain

地元の農家さんとお昼

 

・3日目

10月28日(金)も余市余市エコビレッジさんにお邪魔しております。今朝はノラ猫の赤ちゃんどうする会議で癒されていましたが、昼間は仕事は休みで、パソコンをいじってたり、余市の行きたい所に行ってました。

 

f:id:matsuken1212:20161029180354j:plain

ノラ猫の赤ちゃん

f:id:matsuken1212:20161029175836j:plain

ノラ猫の赤ちゃんどうする会議

 

今日の本番は夜からです!18時にエコビレッジの学び舎に地域の協力農家さんが集まって、エコビレッジから協力農家さんに、ここ数カ月のエコビレッジの活動報告を行い、良かった点や反省点などを話し合いました。

 

f:id:matsuken1212:20161029175907j:plain

モンガク谷の皆さんと会議

 

そして、19時からは学び舎で、地域の協力農家さんも交えたまま、半年間、エコビレッジで働いた、ボランティアの方の送別会が行われました!持ち寄ったお酒や料理を飲んで、食べて、歌って、踊って(本当に踊った)大盛り上がりでした!

 

f:id:matsuken1212:20161029180256j:plain

会議はついででメインはこっち!?

f:id:matsuken1212:20161029175941j:plain

歌うモンガク谷の仲間達

 

仲間や地域で、深い絆があるというのは、良いものだなぁと、しみじみ感じました。一旦お開きになった後も、ボランティアさんと数人で、夜遅くまで語らっていました。去る人も、送る人も、こういう別れなら幸せですね。私はノラ猫の親子に洗濯カゴとシーツをくれてやり、就寝しました。

 

f:id:matsuken1212:20161029180331j:plain

幸せに送られるボランティアのトモさん

 

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

農業共同体見聞録06 えこふぁーむ・農民芸術学校

~訪問記~

今日は余市の有機農場えこふぁーむさんにお邪魔し、そこの牧野さんの農民芸術学校構想を伺いました!

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

f:id:matsuken1212:20161027190043p:plain

 

・1日目

夕方、千歳を出発し、札幌を避けて、長沼、南幌、江別、当別、石狩、小樽…と、空知南部から石狩日本海側へ、夕陽を観ながら抜けていきます。

 

f:id:matsuken1212:20161027190611p:plain

長沼から観た恵庭方面

 

18時過ぎ、余市のえこふぁーむさんに到着して、牧野さんと夕食をご一緒させて頂きました。そこで牧野さんの生い立ちや有機農業や農業共同体について、お話を伺います。大学時代から有機農業や農業共同体について調べていただけに、造詣が深いです!

 

食後、農場に戻って、出荷作業をお手伝いさせて頂き、その後、牧野さんの書斎を見せて頂きました!農業共同体に関する本が沢山…見たことない本や、アマゾンで見たけど売り切れだったり、高くて買えなかった本も…ここに数日籠って本を読んだたいくらいです…

 

私は「ドームハウス」に案内されました。ドーム型の屋根の木の家です。現在、ここは倉庫、作業場として使っていますが、将来、ここを牧野さんが主宰する農民オーケストラのイベントに使ったり、牧野さんが構想する「農民芸術学校」の舞台としたいと語っていました。

 

f:id:matsuken1212:20161027191146p:plain

ドームハウスと私のジムニー

 

農民芸術とは、宮沢賢治が「農民芸術概論綱要」で考えたもので、もの凄くザックリいうと、金を貰う芸術家による、金を出す金持ちの為の芸術ではなく、一般の人々=農民による、農民が楽しく幸せに暮らす為の、日々の労働や生活の発露としての芸術を実践しようという主張です。
牧野さんはその考えに感銘を受けて、「北海道農民管弦楽団」という、農民のオーケストラを主宰しつつ、いつか、この地で、農業と芸術を教える「農民芸術学校」を作りたいと構想しています。このドームハウスも、その学校の施設…コンサートやイベントを開ける場所にしたいとの話でした。

 

~訪問記2日目~

今日も余市のえこふぁーむさんにお邪魔しています。今日はえこふぁーむさんに、ニューヨーク出身、岩内在住で牧野さんのオーケストラに参加しているクリスティンさんもボランティアで来ており、牧野さんと三人で作業しました。

 

f:id:matsuken1212:20161027191739p:plain

左のクリスティンさんに説明する右の牧野さん

 

まずは葡萄と林檎の出荷の準備を手伝い、続いて豆とじゃが芋の収穫を手伝い、その後、牧野さんに農場を案内して頂きました。農場の面積は約4ha=4万㎡、東京ドーム一個分(約4.7ha)の1割〜2割引きくらいで、現在使用しているのはその約半分です。(°▽°)広い!


主力は果樹の葡萄、林檎、サクランボ、梨などで、その他、プルーン、プラム、キウイ、杏子、梅、桃、ベリー類の木、野菜もじゃが芋、インゲン、トマト、ハーブ類…と挙げればキリがないくらい、沢山の作物を作っています!\( ˆoˆ )/キリガナイ

 

その後、牧野さんの畑を借りてるという、こちらもオーケストラ繋がりの久保田さんもいらっしゃり、一緒にお昼ご飯に。ご飯とお肉、豚汁に、デザートで林檎や葡萄、クリスティンさん、久保田さんが持って来てくださったお菓子も頂きました☆( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

f:id:matsuken1212:20161027191957p:plain

お昼御飯後の左からクリスティンさん、久保田さん、牧野さん

 

午後も引き続き農場を案内して頂き、その後、豆の収穫、栗拾い、南瓜の収穫をして、今日の作業は終了。夜は牧野さんに温泉とご飯に連れて行って頂きました!その後、ドームハウスで牧野さんと飲み会?です。ビールや余市産ワインを頂きながら、農業共同体や、農民芸術学校構想について伺います。

古今東西、色々な人が色々な夢や理想を持ち、仲間を集めて、自分達の理想の社会、コミュニティを作ろうとした、農業共同体、ユートピア運動。若い人に、有機農業やオーケストラを教え、次代に引き継ぐ、農民芸術学校は、牧野さんが考える、ユートピアを作る為の試みなのかもしれません。

 

f:id:matsuken1212:20161027192117p:plain

農業共同体見聞録05 沼田共働学舎

~訪問記~

農業共同体見聞録、5か所目の訪問先は、共働学舎さん3か所目、「沼田共働学舎」さんです。

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

 

f:id:matsuken1212:20161108150133j:plain

沼田共働学舎宿舎

 

・1日目

 10月21日(金)、火曜の午後から金曜の朝まで、道北の士別市の農家さん(寧楽共働学舎の代表の毛利さんの娘さんの嫁ぎ先です)にお邪魔していましたが、前の夜から当日朝にかけて雪が降り、10㎝以上積もりました…

 一応、スタッドレスタイヤは履いているものの、春~秋まで履き潰していた為(北海道に来るとは思ってなかった為…大した距離は走ってませんが…)おっかなびっくり運転して、雨竜郡沼田町の沼田共働学舎さんに出発。

 雪の積もる士別市街を抜け、道央自動車道を慎重に走り、旭川を過ぎると雪が消え、深川留萌自動車道を走り、

なんとか時間ぎりぎりアウトで沼田共働学舎さんに着きました。

 

f:id:matsuken1212:20161108150256j:plain

沼田町の風景

f:id:matsuken1212:20161108150301j:plain

沼田共働学舎のある丘

 

 沼田共働学舎さんの農場は、石狩、空知平野北端の雨竜郡沼田町の南西、大きな牧場がある、丘陵に位置します。

 建物は、1992年に自分達で建築した、地上3階、地下1階の宿舎と、鶏1300羽を飼う鶏舎があります。

 ここの代表の大橋さんにお会いし、鶏舎や作業場を案内して頂きながら、沼田共働学舎さんの話を伺いました。 沼田共働学舎の設立者で現代表の大橋さんは、共働学舎設立者、宮崎眞一郎さんの教え子で、信州共働学舎や寧楽共働学舎の立ち上げに携わった、福澤さんという方の奥様の弟さんです。大橋さんは最初は寧楽共働学舎にいましたが、養豚事業を拡大する為、沼田共働学舎を設立。ですが、養豚は上手くいかず、養鶏を始めました。 

 

f:id:matsuken1212:20161108150432j:plain

沼田共働学舎宿舎

f:id:matsuken1212:20161108150446j:plain

鶏舎のひよこ

 

2006年には共働学舎がNPO法人になりましたが、NPO法人になると事務手続きなどが煩雑になるので、NPOに入らず、共働学舎ではあるが、NPO法人共働学舎には所属していない、という今の体制にしました。

 かつて沼田共働学舎には、大橋さん夫婦とお子さん4人に共働学舎のメンバーも含めて、10数人いた時期もありましたが、現在は、大橋さん夫婦とお子さん2人に、NPO共働学舎の男性1人の5人で生活しています。そして鶏1300羽ほどを飼い、鶏卵を1日800個ほど取って、自然食品の販売会社へ卸したり、直売しています。

 

f:id:matsuken1212:20161108150533j:plain

自然食品の販売会社に卸す卵

 

 1時間ほどの滞在でしたが、興味深いお話しを伺えました。12時前にお別れし、今度は道央方面へ戻ります。

 

f:id:matsuken1212:20161027190611p:plain

道央方面