農業共同体見聞録&農業共同体設立記

日本中の農業共同体、農業コミューン、エコビレッジ、農業シェアハウスの訪問記と、東京都西多摩郡檜原村での古民家シェア&ゲストハウスと里山シェアリングの設立記!

農業共同体見聞録16 真木共働学舎

~訪問記~

 次の訪問先は立屋共働学舎さんと同じ小谷村内「山中」、徒歩で山を登る事一時間半、茅葺屋根の日本家屋の「真木共働学舎」さんです。

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

 

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・1日目

 11月24日木曜、今日は立屋共働学舎さんを出発し、同じ小谷村内の真木共働学舎さんにお邪魔しました!

が、凄いです。何が凄いって、超ガチの山奥です。前も同じ様な事を言いましたが、今度の方が凄いです。

何せ、車じゃ行けません。駐車場で車を停めて、そこから歩いて向かいます。熊も出るので熊鈴必携です。

 

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雪の降る中、登山開始

 

自分の荷物はリュック1つ、肩掛け鞄1つでしたが、共働学舎さんの生活物資(醤油一升瓶2本)も持ち、

雪の降る峠を登って、降りて、沢を渡って、また峠を登って、降りて、沢を渡って、また峠を登って、1時間半。

 

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登って降りて…

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沢を渡って…

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登って降りて…


山の中の開けた場所に、棚田や畑、茅葺き屋根の日本家屋が立ち並ぶ、真木共働学舎さんに到着しました。

 

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真木共働学舎

 この日は到着後、母屋の今で『琉神マブヤー』のDVDを皆さんと鑑賞した後、夕食の準備をお手伝いして、夕食を頂き、歓迎の宴を開いて頂きました。

 

・2日目

 11月25日金曜、今朝は6時に起きて、鶏の世話や山羊の世話や集落の中の様子を一通り案内して頂きました。真木共働学舎さんは茅葺き屋根の日本家屋「アラヤシキ」を中心に生活しています。独身の方はここに住んでますし、全員の食事やミーティングもここで行います。ここは「アラヤシキの住人達」という映画にもなりました。

 

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アラヤシキ

 

 夫婦や家族で暮らすメンバーが住んだり、ボランティアや訪問者が滞在する住居も数軒あり、それも昔ながらの日本家屋です。他にも土蔵や棚田は昔ながらのものを使っていますし、鶏舎や山羊小屋、倉庫もあります。

 

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重家

 

 ここでは赤ちゃん、幼児、若者〜50代の人まで、老若男女20人近くが暮らしています。中には心身に病気や障害を持った方もいますが、メンバー全員、分け隔てなく、仲良く協力しながら暮らしています。

 春〜秋は田畑を耕し、米や野菜を作り、鶏や山羊や蜜蜂を飼い、卵や乳、蜂蜜をとり、みんなで交代で食事を作り、カマドで炊いたご飯を食べ、居間で語らい、冬は大半の人は立屋共働学舎に移りますが、数人は残り、屋根の雪下ろしをして、村を守ります。そろそろ冬本番。真木共働学舎の長い冬が始まります。

 

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冬支度

 

 この日は一日、大根の収穫をしたり、大根を千切りにしたり、大根の干し場を作ったりしていました。夕食後はまた、お酒を頂きつつメンバーの方にお話しを伺い、夜は更けていきます…

 

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夕食

 

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真木の畑から臨む北アルプス

農業共同体見聞録15 立屋共働学舎

~訪問記~

 次の訪問先は北海道で訪問した、「共働学舎」の発祥の地、信州、立屋共働学舎さんです。

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・1日目

 今日は松本の旅館を出発し、昨日の松本城に引き続き、今日は上田の上田城を見学!真田幸村ゆかりの地です。で、次の訪問先、小谷村の立谷共働学舎さんに向かいます。長野と新潟の県境の手前、スキーで有名な白馬村の北隣、小谷村の千国駅西方の山の方、白馬乗鞍温泉スキー場や白馬アルプスホテルがある山の中腹です。

 

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北アルプスの山並

 

 着いた時は18時近く、周囲が真っ暗で場所が分からず、近所の旅館の方に教えて頂いて、何とか到着して、そのまま夕食を頂き、部屋に案内して頂き、入浴の後、食堂で代表の宮嶋信さんにお話しを伺う事が出来ました。

 

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農場と北アルプス

 

 共働学舎は1974年、立谷の地で宮嶋眞一郎という人物が、心身に不自由を抱える人が「自労自活=自立した労働と生活」を送る為、数人の仲間と共に設立しました。宮嶋信さんも自由学園を卒業した後、父、眞一郎さんと共に共働学舎設立に最初から参加していました。現在、立屋共働学舎と真木共働学舎を併せた信州共働学舎は、宮崎眞一郎さんの二男の宮崎信さんが代表を務め、立屋、真木、それぞれにもリーダーを置いています。

 

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母屋

 

 現在、立谷共働学舎で30人程、真木共働学舎で20人程、信州共働学舎全体で50人程、乳幼児からお年寄り、心身に病気や障害を持っている人もまで、様々なメンバー所属しています。農業の仕事も、共同での生活も、決して楽ではありませんが、共働学舎発祥の地で、共働学舎の精神を守りながら、助け合いながら暮らしています。

 

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かおるハウス

 

・2日目

 今朝は5時半に起きて、6時から牛舎の掃除!動物を飼っているので朝は早いです。普段のスケジュールだと、7時半から母屋で朝食、9時前からミーティングを、9時から仕事、12時から昼食、13時半から再び仕事、夕方も動物の世話をして、18時から夕食、という流れだそうです。日曜、祝日は動物の世話以外は休みとの事です。 

 

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和牛

 

 牛舎の掃除の後、敷地内を案内して頂きました。メンバーが食事やミーティングで集う母屋や、近隣の山小屋や宿泊施設を改装した寮があり、田んぼ、畑が3ha程と、牛舎、鶏舎、工芸所、製パン所などがあります。

 

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山羊

 

 田んぼや畑で作った米や野菜は、主に自給用です。農薬や化学肥料、機械をなるべく使わずに作業しています。牛は和牛の繁殖牛、育成牛を10頭ほど飼育し、市場に出荷しています。牛舎では山羊も数頭飼っていました。 

 農作業が出来ない冬季は工芸所で仕事をしています。草木染めや本藍染めの糸を使用して、機織りをしたり、トウモロコシの皮で人形を作ったり、木製のおもちゃを作っています。また、加工食品づくりも行っています。

 製パン所とパン屋ではメンバーが食べたり、地域の人に販売する為、パン、クッキー、ケーキを作っています。

 

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 で、朝食を頂き、ミーティングをして、午前中は冬に備えて薪運びと薪積み。昼食を頂き、敷地内を散策して、午後は冬に備えて納屋の解体。夕方、また、動物の世話をして、夕食を頂き、後は自由時間です。

 

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・3日目

 今日は立屋共働学舎さんの収穫感謝祭でした!動物の世話と朝食、薪運びを済ませ、10時からスタートです!

 「かおるハウス」と呼ばれる、ログハウスのホールに、立屋、真木の50人近くのメンバーと、地域の方や関係者、協力者のお客様も同じくらい集まり、100人近い人達が所狭しとホールに集まって、収穫感謝祭スタート!

 

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感謝祭スタート

 

 まずは代表の宮嶋信さんが挨拶をしたり、礼拝をしたり、讃美歌を歌って、続いて、共働学舎のメンバーが一年の報告。今年の田んぼや畑の作物の出来や、牛、山羊、鶏などの動物の畜産物の出来を担当者が報告します。  

 

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感謝祭の報告

 そして、昼食タイム!今年の共働学舎の収穫物を贅沢に使ったご馳走が並びます!お赤飯、お味噌汁、さつま芋のサラダ、漬物、煮物、パン4種類、蕎麦饅頭、リンゴ…食べきれないほどでした!14時前に終了し、みんなで片付けておしまい!素晴らしい1日でした!

 

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感謝祭の昼食

農業共同体見聞録14 大鹿ふりだし塾

~訪問記~

 農業共同体見聞録、中部地方編の最初の訪問先は、1970年代以降の日本のコミューン運動の到達点、長野県の山奥で自給自足生活を送る「大鹿ふりだし塾」さんです。

 

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・概要

大鹿ふりだし塾は、長野県南部、南アルプス赤石山脈西方の長野県下伊那郡大鹿村鹿塩の山の奥地にある、自分達で建てた家や、無農薬で作った作物、沢水、電気、薪の燃料で(100%ではありませんが)自給自足する生活を送りながら、研修生(お手伝いさん)を受け入れ、彼らとの共同生活を送っている農場です。

 

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母屋のログハウス

 

 山麓の川沿い、国道沿いの集落から、曲がりくねった、最後は舗装もない道を15分程登った標高1300m程の所に、大きな立派なログハウスや研修生の寮、山羊や鶏小屋が立ち並び、山麓の標高800m程の所や、山頂付近の標高1400~1500m程の所に畑があり、何十種類という米や野菜を、無農薬の方法で作っています。

 

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娘さんご夫婦の暮らす旧八角

 

大鹿ふりだし塾のメンバーは、代表者の「げた」さんこと大倉寛さん、奥様のひろみさん、娘さんとその旦那さんとお子さん3人、ふりだし塾の「塾生」で研修生の様な形で住む人が通常2~3人、多い時は7~8人です。

 

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イベントや宿泊が出来る新八角

 

 近年、大鹿村内にふりだし塾と繋がりのある若い移住者、就農者が増えてきていて、ふりだし塾周辺に彼らの家を建て、彼らと農事組合法人を設立し、お互い自立しつつ協力する、という関係を築いています。

 

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山の麓の畑

 

 

・一週間の流れ

11月14日月曜…東京から長野に移動。夜の闇と雨と霧の中、初めての道で、国道なのに急カーブ続きで、すれ違いも出来ない道を走ったり、曲がりくねって入り組んだ山道で迷ったりと、散々でしたが何とか到着しました。

11月15日火曜…秋も終わりなので、畑の片づけのお手伝い。ミニトマトの撤去や人参の収穫をしました。

11月16日水曜…午前も午後も下の畑の片付け。昼休みには大鹿村に移住予定の方の所でお話しを伺いました。昔から大鹿村には移住者が多くて、この方は古民家を買い取り、改修して、新規就農を目指すとの事でした。

11月17日木曜…今日も一日、畑の片づけ。母屋の近くの自給用の菜園を片付け、山の上の方の畑も片付けます。

11月18日金曜…午前はヒエの脱穀を、足踏み脱穀機と「とうみ」という機械でやりました。午後は畑の片づけ。

11月19日土曜…午前は畑の片付け、午後は収穫した「ケツメイシ」という生薬を枝から切り離す作業をして、夕食後、げたさんから、コミューン運動の事、そこから得た教訓、大鹿ナチュラルファームの構想を伺いました。

11月20日日曜…出発。朝食を頂き、昼食のおにぎりを頂き集合写真を撮って、出発しました。

 

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足踏み脱穀

 

 

・一日の流れ

一日の流れは、朝7時頃に母屋に行って、薪ストーブに火を付け、お湯やお茶を沸かして、朝食の準備を手伝って、鶏に餌をやり、朝食を頂きます。午前は9時から12時までお手伝いし、12時から13時までお昼休み。

午後は13時から17時頃まで、15時から30分程の休憩を挟んでお手伝いし、その後は夕食作りのお手伝い。夕食を頂いたら、後は自由時間。げたさんやひろみさんとお茶を飲みながら話したり、本を読んで、眠ります。

ここでは、農業はもちろん、料理や、建築まで、自給自足に関する事は何でも学ぶ事が出来ます!

 

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日本アルプスの山並み

 

・大鹿ふりだし塾について

代表のげたさんは20歳の頃から日本全国のコミューンを放浪し始め、最初は「厚木ふりだし塾」という所に、入り、その後も日本中、世界中を渡り歩いて、1983年、大鹿村の農家さんの家と農地を借りて暮らし始めます。 

1994年に現在のふりだし塾の場所に1ha以上の山林を買い、2年程で八角形のログハウス、「(旧)八角堂」を建設し、2003年に現在の母屋となる大型のログハウスが完成し、げたさんご夫妻はそこで暮らしています。現在、八角堂には娘さんご家族が住んでいて、近年、1ha程の山林を買い足し、新しい八角堂も建設しました。

また、2000年頃から、自給自足生活やログハウスの建築を学びたいという人達が来始め、2003年に「大鹿」ふりだし塾として、そうした人達を「お手伝い」として無償で受け入れ、共同生活する体制がスタートしました。

 そして近い将来、大鹿村農事組合法人「大鹿ナチュラルファーム」を設立する予定です(2016年11月現在)。この法人はげたさんご夫婦、娘さんご夫婦と、ふりだし塾と繋がりがある、大鹿村で新規就農した若い人達が、組合に出資して組合員となり、機械の共同利用や食品加工から始め、生産や研修生の受け入れも目指します。

 この、一人一人は自立しながら、協力できる所で協力する、という形が、若い頃は世界中のコミューンを訪問し、30年近く、農業に取り組んだ、げたさんの考える「農業コミューン」の上手く運営できる形態だそうです。互いが互いに依存せずに自立しつつ、協力した方が効率が良い所は協力する。一軒一軒は農家として独立しつつ、食品加工や機械利用の分野では協力する。「自由」と「協力」を両立する、自立した農業者の、緩やかな連帯で大鹿の農業を守り、若い後継者を育て、将来的には大鹿村を「無農薬農業の村」にしたい、そう語っていました。

 

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別れ際の集合写真

農業共同体見聞録13 獏原人村

~訪問記~

農業共同体訪問記、北海道東北編の最後は、福島の山奥の自給自足のヒッピーコミューン「獏原人村」さんです。

 

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・1日目

 11月01日(火)、山形のつぶ亭を出発し、仙台で写真を撮り、牛タンを食べ、塩釜で震災のモニュメントを見て、お土産を買った後、津波で流されて何もない宮城県南部の海岸沿いをひた走り、福島県内の高速道路を【線量〇〇μSv】みたいな看板を横目に走り、高速道路を降りたら、【3キロ先、帰還困難区域】みたいな看板があり、
海岸沿いから内陸に入り、福島県双葉村に着きました。

 

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看板

 

 今日お邪魔する「獏原人村」さんは1976年、福島県で生まれた、自給自足的なヒッピーのコミューンです。福島県双葉郡川内村という、県内では東の方、比較的に海に近い山間地域の山奥の、舗装のない林道を進んだ奥に獏原人村は存在します。携帯の電波は通じません。その山奥で40年近く、自給自足の生活を続けています。多い時で数家族、20名程が暮らし、畑を耕して野菜を作り、鶏を飼って卵を作り、水は自然の水を使い、電気は太陽光で自家発電します。1990年代から毎年夏の満月の日、1000人以上が集まる「満月祭」も開きました。

 

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イベントが開かれる広場とドームハウスと小屋

 

 2011年の東日本大震災に伴う原発事故で、川内村は全村避難の対象となり、一時、獏原人村も非難を余儀なくされますが、再び、代表のマサイさんご夫婦は獏原人村に戻り、満月祭も継続し、獏原人村で若者の音楽イベントが開催されたり、マサイさんが地元の地域おこしの活動に取り組んだりと、今でも活動は続けられています。

 

 今日は川内村で、獏原人村のマサイさんという方と地元の人達が、【盛り上げっ課】という地域おこしのグループの定例会をするとの事で、私もお邪魔して、会議の様子を見学させて頂きました。自給自足の生活をしてる人というと、俗世を捨てた仙人みたいな気難しい人をイメージしていたのですが、マサイさんはユルイ感じで、Lenovoのノーパソ(画面がタッチパネル)を操りつつ、和気藹々と雑談の様な感じで会議をしていました。で、上記の様な山道を走り、獏原人村に着き、三日月荘という小屋に泊めさせて頂きました。

 

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川内村盛り上げっ課

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Lenovoを操るマサイさん

 

・2日目

 11月02日(水)、福島県の獏原人村さんにお邪魔しています。今朝は6時過ぎには起きましたが、8時過ぎまで、ダラダラ朝食を食べたり着替えたりして、10時過ぎまで和泉さんという方に村を案内して頂きました。

 獏原人村には現在、3戸の住宅(1戸はマサイさん夫婦の住宅、1戸は原発事故以降の空き家、1戸はゲストハウス?)、と、倉庫、鶏舎、菜園、満月祭等のイベントを行う広場、音楽イベントなどが行えるドームハウス、イベントの際の会場や宿泊場所になる建物、その他、太陽光パネルや水を汲むパイプや池、川も流れています。

 

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マサイさんのお宅

 

 その後、川内村の温泉に連れて行って頂き、ご飯を食べ、川内村をあちこち案内して頂き、14時過ぎに獏原人村に戻り、和泉さんとお話ししながら、ダラダラ…凄くユルイ感じです(笑)

 15時過ぎからはマサイさんが薪を運ぶのをお手伝いしつつ、マサイさんのお話を伺いました。その後、三日月荘でマサイさん、和泉さんとお話しし、記念撮影会。和泉さんに夕食を振舞って頂き、その後、マサイさんのお宅にお邪魔し、奥様も交え、またお話しを伺いました。

 

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三日月荘

 

 40年程前、マサイさん達は既成の価値観や社会制度に縛られず、何もない所に新しいものを作ろうと考え、福島の山奥で自給自足の生活を開始。多い時期で数家族、20人程が住み、自給自足生活を実現させ、1990年代以降、夏の満月の時期に「満月祭」を開催、多い時で1000人以上が集まるイベントに成長しました。

 福島原発事故も獏原人村に戻り、満月祭を開催。地域の活動にも参加する様になりました。理想郷を作り社会を変える、という様な壮大な計画は実現しませんでしたが、原発事故後も村に留まり、生活を続け、祭りを続け、地域の活動に参加し、若者に活動の場を提供しています。獏原人村は、今でも人里離れた山奥にありつつ、地域の人々や、獏原人村を愛する人々との繋がりの中で、新しい「ユートピア」の形を模索し続けていました。

 

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マサイさん、和泉さんと

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別れ際の和泉さん

農業共同体見聞録12 古民家シェアハウスつぶ亭

~訪問記~

 次の訪問先は、山形市西方の山の中、「大人の遊び場、体感型古民家シェアハウス『つぶ亭』」さんです。

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・1日目

 10月31日月曜、昨日の余市ニセコ留寿都→札幌→函館→青森に続き、今日は青森→秋田経由→岩手→仙台経由→山形と、超強行軍ですが、頑張りました。昼過ぎに岩手県花巻市宮沢賢治の「羅須地人協会」を見学、さぁ出発!と思った時、「宮沢賢治記念館」の看板を見つけてしまい、時間がないと悩んだ挙句、行ってしまいました。時間を気にしつつ、宮沢賢治ワールドを満喫…出来なかったから、いつかまた来たいです。で、出発。

 

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宮沢賢治記念館

 

 時間がないので、岩手から宮城経由で山形まで高速道路を使い、意外と高い高速料金に驚きつつ、山形に到着。訪問先の代表の小関さんは仕事で山形におらず、住人の西村さんと山形市内のとんかつ屋さんで待ち合わせし、(その日はつぶ亭でご飯を炊いていなかった為)とんかつを食べつつ、つぶ亭の事や西村さん、小関さんの事を伺いました。そして、つぶ亭のお風呂はちょっと寒いという事で、山形市内の温泉に入ってから、つぶ亭へ。

 

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つぶ亭のある山

 

 つぶ亭は山形県山形市の西方、山形盆地西方の標高500mの中山間地域、門伝礫石という集落内にあります。山形市中心部から、県道17号線で山形市街を抜け、急カーブが連続する坂道を登って登って、30分程でした。

私が着いた時間が夜で、翌朝出発する時も曇りでしたが、普段は山頂で眺めが良く、四季がはっきりしていて、秋には頻繁に雲海を見られるそうです。近くに「県民の森」があり、自然の豊かな集落です。

 

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つぶ亭

 

 で、つぶ亭にお邪魔します。古民家を改装したシェアハウスですが、外観も内装も凄く綺麗な古民家でした。玄関を入ってすぐに広間が、隣りに居間があり、シェアハウスの個室が3部屋、キッチン、トイレ、お風呂は共用です。私は空いている個室を使わせて頂きました。木の柱、壁、梁、障子など趣があり、縁側や庭もあります。

 

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居間

 

「大人の遊び場」「体感型古民家」をコンセプトにしていて、、菜園で野菜を育てたり、ピザ釜を作ってピザを焼いたり、シェフを呼んで料理を楽しんだり、薪ストーブを設置したり、壁に絵を書いたり、芋煮会兼ピザ会兼BBQを開催したり…と、自由な活動をしているそうです。

 

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つぶ亭

 

 新しい建物を建てるとなると、お金も掛かりますし、資源も沢山使います。でも、つぶ亭の様に古民家を改装すれば、手間は掛かりますが、お金も資源も減らせます。自分も将来はこういう形で家を造るのも面白いなと感じました。

農業共同体見聞録11 宮沢賢治 羅須地人協会

~訪問記~

 次の訪問先の現存する農業共同体ではありません。昭和初期、岩手県花巻市で作家【宮沢賢治】が設立した、ユートピアイーハトーブ」への試み、「羅須地人協会」です。

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・1日目

 10月31日(月)、前夜、函館から青森までフェリーで渡り、青森市内で車中泊し、今日は青森から秋田を通過して岩手へ行き、宮沢賢治の『羅須地人協会』を見学し、宮城経由で山形へ行き、古民家シェアハウス「つぶ亭」に泊まります。昨日に続き、超長距離移動になります!移動の詳細は割愛して、早速、『羅須地人協会』です!

 

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函館で乗ったフェリー

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青森を走る、奥羽本線

 

 羅須地人協会は1926年、岩手県花巻市の宮沢家の別宅で作家・宮沢賢治が設立した、近隣農家に農業、科学、芸術などを教える私塾です。世間の誤解によって半年程で活動を休止、自信の病気で再開は出来ませんでした。ですが、宮沢賢治の農業や芸術や科学に対する考え方、理想・思想とその実践が表れた、特徴的な活動でした。

 

 

花巻市は、東の岩手を東西に分ける北上山地と、西の岩手・秋田を分ける奥羽山脈に挟まれた北上盆地にあり、南北に北上川が走る田園地帯です。協会の建物は花巻空港北上川に挟まれた、花巻農業高校の中にあります。

 

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花巻空港

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花巻農業高校

 

 羅須地人協会の建物は、もとは宮沢家の別宅で、木造2階建て、1階は10畳と8畳の2室、2階は8畳の1室があり、協会で使った1階の10畳の洋室は、当時の様子が再現されていて、黒板や椅子、オルガンや本棚が並べられていて、当時の雰囲気を知る事が出来ます。

 

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羅須地人協会

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1階洋室

建物周辺の庭園には、宮沢賢治の像や、宮沢賢治が発表した、「農民芸術概論要綱」の石碑、花巻農学校精神歌詩碑、などが並んでいます。また、花巻市内各地に、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、宮沢賢治イーハトーブ館などの関連施設が有り、宮沢賢治の足跡を辿れます。

 

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宮沢賢治記念館

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山猫亭

 

 宮沢賢治は作家として有名ですが、同時に在野の農業人であろうと努めた人でした。1896年、花巻市川口で生まれ、岩手県立花巻農学校の教諭となり、農家の子弟を教育します。ですが、彼には葛藤があったといいます。農家の子弟に「農民になれ」と教えながら、自分は教職に就いて、給与を貰っている事に矛盾を感じていました。

 

1926年春、花巻農学校を退職。宮沢家別宅を改装し、自給自足生活を始め、同年8月、近隣の若い農家と共に、羅須地人協会を設立しました。昼間は田畑を耕し、夜は協会で講義を開き、集まった農家らに農業技術や自然科学や芸術を教えました。「農民芸術概論要綱」も発表、楽団の結成を考え、楽器の練習をしていました。

 

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農民芸術概論要綱の碑

 しかし協会の活動が社会主義教育と誤解され、警察に事情聴取され、1927年3月、協会の活動を休止します。賢治はその後も、農業指導や肥料設計は続けましたが、1928年夏、病気を患い、実家での療養生活に入ります。

 その様な中で『雨ニモ負ケズ』の詩を書き、創作活動を続け、近隣農家の相談に乗りながら闘病を続けますが、1933年9月、自宅で家族に看取られながら死去。遂に賢治の死まで、協会の活動は再開されませんでした。

 

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宮沢賢治の像

 

 ですが、賢治は、死の前日まで近隣の農家の農業の相談に乗っていました。協会の活動という形はとらずとも、最後まで、故郷の花巻に、「イーハトーブ」の地に農業を通じて貢献しようという想いがあったのでしょう。

 彼が勤めた花巻農学校は、現在は花巻農業高校となり、羅須地人協会の建物は、花巻農業高校の敷地に移設されています。花巻の地で農業を学ぶ生徒達を、宮沢賢治は今でも見守っているかもしれません。

 

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花巻の田園地帯

農業共同体見聞録10 平民社農場

~訪問記~

次の訪問先も現存する農業共同体ではありません。「有島農場」の20年前、ニセコ町の近く、現在の留寿都村で設立された、社会主義者の農業共同体「平民社農場」です。

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

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~1日目~

 10月30日(日)、ニセコ町の有島記念館を後にし、次に向かうのは留寿都村の「平民社農場」があった、かもしれない、場所です。かもしれないと言うのは、留寿都村字泉川という地域にあった事までは分かったのですが、正確な場所が、ネット上を探しても所法がなく、留寿都村の観光課に問い合わせしても、分からなかった為です。

記念館とかも何も残っていません。と言う訳で、泉川周辺を適当に散策して、適当に写真を撮って、載せます。

現在の泉川地区は、南の竹山・貫気別山から、村営牧場のある丘陵地帯を抜け、国道230号線沿いのルスツリゾートなどのホテル、遊園地ゴルフ場が立ち並ぶ地域です。国道沿いと少し入った場所で写真を数枚撮ります。

 

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泉川地区

 

平民社農場は1904年、現在の北海道虻田郡留寿都村社会主義団体、平民社のメンバーが設立した農場です。

平民社は1903年、東京で幸徳秋水堺利彦が、平和主義と社会主義と「平民主義」を主張する新聞社として設立、社会主義運動の中心となりますが、1905年に政府の弾圧で解散、大逆事件で主要人物が逮捕されます。

平民社農場は1904年、現在の北海道虻田郡留寿都村の字泉川地域で原子基、深尾韶らが11.4haの土地を借り(北海道国有未開地処分法の適用を受けて)、入植。内地の政府の弾圧を逃れ、平民社の掲げるキリスト教社会主義の実践として、地主が小作人を支配する農場ではなく、自作農集団の社会主義的な農場の建設を目指します。

 

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ルスツリゾート

 

まず笹葺小屋を建て、森林を開拓しますが、農業素人集団で馬もいない為、初年の開墾は1.5haのみに留まり、収穫は自給自足するには足りず、東京の同志の支援を頼みます。おまけに、周囲の農家からは「東京からきた百姓でない百姓」「主義者の物好き」と馬鹿にされ、警察から社会主義者との情報も回り、信用されませんでした。

ですが、翌年も開墾の努力を続け、段々と周囲の誤解もとけ、逆に同情され、駐在巡査まで世話をしだします。前年と比べて作物の収量も増えました。しかし、火事で家屋が焼け、借金も発生。経済的に致命傷となります。火災後、脱退舎が続出し、翌年も開墾と農業は続けましたが、遂に3年目の10月、農場の解散を決定します。

 

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道の駅ニセコ

 

最後の年の事。彼らは農場や近くの村で幻灯会(昔のスライド映写機の上映会)を開いて、寄付を集め、足尾銅山鉱毒被害地・谷中村に送りました。また、彼らは、借金等で土地を失くした移住者や小作人を無料で宿泊させていました。自分達の暮らしが苦しい中でも、他者への思いやりを忘れない。それは平民社の精神の表れだったのでしょう。彼らの理想と実践は、有島武郎武者小路実篤らの、農業共同体活動の先駆けとなりました。

 

ではでは、次の目的地、札幌に向かいます。その後は中山峠を戻って、留寿都洞爺湖を抜けて、豊浦から内浦湾沿いに函館に行き(一般道路で)、フェリーで青森に渡ります。残り半日で。

 

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留寿都南方、洞爺湖