農業共同体見聞録&農業共同体設立記

日本中の農業共同体、農業コミューン、エコビレッジ、農業シェアハウスの訪問記と、東京都西多摩郡檜原村での古民家シェア&ゲストハウスと里山シェアリングの設立記!

農業共同体見聞録19 新しき村

~訪問記~

 今回は関東、埼玉県入間郡毛呂山町。約100年前、文豪 武者小路実篤と仲間達が設立した、現存する日本最古の農業共同体「新しき村」です。

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新しき村美術館

 

・1日目

 12月16日(金)、今日は埼玉県入間郡毛呂山町の、文豪 武者小路実篤らが設立した、現存する日本最古の農業共同体「新しき村」に来ました!

 新しき村は埼玉県西部の関東平野西端、秩父山地東麓の、のどかな丘陵地帯にあります。関東平野西部を走って、昼過ぎに到着!

 

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秩父山地

 

 県道30号線から西に入り、JR八高線の線路を渡ると、新しき村に入ります。

 

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新しき村入口

 

 村には、所有地10ha、借地3haに、村民が住む住居が十数棟、食堂・ステージ・浴場・売店・事務所の入った公会堂兼食堂、美術館、ギャラリー、田んぼ、畑、茶畑、椎茸ハウス、ソーラーパネルなどがあります。

 

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新しき村ギャラリー

 

 明治後期から昭和前期頃、日本各地で作家や知識人、社会主義者が農業共同体や、農民・農家子弟向けの私塾を開きましたが、現在、新しき村以外は存在しません。また、戦後、日本各地で農業共同体や農業コミューンが結成されましたが、殆ど短命で終わってしまいました。その様な中で、2016年現在で設立98年、2018年には設立100周年を迎える、日本最初期の農業共同体にして、現存する日本最古の農業共同体が、新しき村です。

 

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田んぼ

 

 1918年、宮崎県で武者小路実篤の「人間らしく生きる」「自己を生かす」社会を設立する構想に賛同した仲間15人が村を設立し、家を建て、畑を作りました(日向新しき村)。ですが、設立から約20年後、村はダム建設でダムの底に沈む事になってしまいます。そこで1939年、埼玉県入間郡毛呂山町に1.3haほどの土地を得て、東京支部の協力のもと、「東の村」を設立一番多い時では60人以上が新しき村で生活をしていました。

 

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椎茸ハウス

 

 1918年の設立からもうすぐ100年を迎える「新しき村」。現在は村人は十数人ほどと減っており、高齢化も進んでいるそうですが、100年前と変わらない理想と精神を保ちながら、村の人々の活動は続いています。

 

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茶畑と太陽光パネル

農業共同体見聞録18 平民学校

~訪問記~

 次の訪問先は山梨県西八代郡市川三郷町、大正時代、農村で子弟教育を施した、丹沢正作の「平民学校」です。

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・1日目

 12月04日日曜、北杜市を出発し、甲府盆地南部の西八代郡市川三郷町という地域にある、「平民学校」の跡地に向かいます。

 平民学校は、1906年、山梨県で丹沢正作という人物が近隣の農家の子弟に教育を施す為に設立した私塾です。

 山梨県西八代郡上野村(現在の山梨県西八代郡市川三郷町)という、甲府盆地南部の丘陵地帯にありました。近くの高台からは甲府盆地全体を見渡す事が出来ます。

 

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市川三郷町から甲府盆地を望む

 

 歌舞伎文化公園の近く、三珠農村広場の駐車場の裏手に細い道があり、その少し奥に広場があり…

 

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細い道

 

丹沢正作が修道庵として暮らした茅葺屋根の小さな小屋(山の家)と、顕彰碑が立っています。山の家の中には丹沢正作の写真や年表、資料が展示されています。

 

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山の家と顕彰碑

 

 丹沢正作という人物は1876年に山梨県西八代郡上野村で生まれ、東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業、上野村の役場の職員となり、地元で信用組合や小作組合、平民学校を設立して地域の子弟の教育にあたりました。彼はキリスト教徒であり、トルストイアンでした。有島武郎(狩太共生農団設立)や宮沢賢治(羅須地人協会設立)と通じるものがあり、作家の徳富蘆花(現在の蘆花恒春園設立)や、思想家の江渡狄嶺(百姓愛道場設立)と親交がありました。「土を愛し土を離れるな」をモットーに、地域社会の発展に尽くし、「山の先生」と呼ばれ、村人達の敬愛を集めたといいます。1926年、病気の為に亡くなりました。

 

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丹沢正作と山の家の写真

農業共同体見聞録17 ぴたらファーム

~訪問記~

 次は山梨県北杜市南アルプス八ヶ岳の麓の古民家シェアハウスで農場を営む、ぴたらファームさんです。

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・1日目

 地元、神奈川県茅ケ崎市から相模川沿いに県内を北上、相模湖から国道20号線で西に向かい、甲府盆地の市街は高速道路でワープして、合計4時間。甲府盆地北西、山梨と長野の県境の手前に山梨県北杜市があります。

 

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北杜市から八ヶ岳を望む

 

北杜市西部、南アルプスの北部山麓の田園地帯。周辺には田畑が広がり、別荘が立ち並ぶのどかな地域です。西には南アルプスが連なり、北には八ヶ岳が聳えます。

この日は夕方、ぴたらファームさんに到着しました。到着後地元の温泉に連れて言って頂き、その後、鍋を囲んでお酒を飲みつつ、皆さんのお話を伺っていました。

 

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北杜市から南アルプスを望む

 

・2日目

今朝は6時に起きて7時から出荷作業、その後、休憩やお昼休みを挟みつつ、里芋の収穫を手伝っていました。

今年は山梨も雨が多かったそうですが、里芋は雨が降ると良いらしく、過去最高の出来だと言う事でした!

 

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古民家シェアハウス

 

 生活リズムは季節によって変わりますが、私は、7時に午前の仕事を開始、12時から13時過ぎまで昼休み、13時過ぎに午後の仕事を開始、17時に午後の仕事を終了、午前、午後に30分程の休憩、という流れでした。

毎日終日、農場の仕事に携わる方もいれば、午前だけ、週数日だけ農場で働いて、別の仕事をしている方もいるそうです。私は16時前に終了したので、街の方に買い物に行き、夕食を頂き、今日もお酒を飲んでました(笑)

 

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昼食風景

 

 

・3日目

今日の午前中は、地元の幼稚園で菜園の技術指導のお手伝いです。大根や白菜、カブの収穫を一緒にやりました。子供達は元気いっぱいでした!お昼の後は、大根の収穫!保存のため、みんな畑に穴を掘って埋めます!

 

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別荘地の小屋

 

そして今日も夕食後はお酒(笑)私も持ってきた日本酒を開けます♪そして、田才さんからお話しを伺います。田才さんは札幌の出身ですが、島根の大学で農学系の勉強をして、海外を放浪し、長野で木工を学び、茨城で有機農業を学び、農をベースとした生き方に憧れ、2010年、ぴたらファームを始めました。2016年12月現在、ぴたらファームには20代~30代の男女2名ずつが暮らしていて、年明けには二人が加わり、6人になります。近隣の住民の方、農業大学校の研修生、ウーファー、も積極的に受け入れ、農業と寝食を共にるとの事でした。

 

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野菜畑とビニールハウス

 

・4日目

今日は午前中、ぴたらファームさんのシェアハウスを案内して頂きました。まずは古い日本家屋を改装した、古民家シェアハウス。1階に台所、風呂、トイレ、居間、住人の個室が、2階にゲストのスペースがあります。庭には菜園や果樹、竹林が広がり、倉庫や鶏小屋、コンポストトイレもあります。上記の住居の他に、近隣の別荘地の洋風の山小屋を借りていたり、近所の古民家を自分達で改装していたりシェアハウスを増やしています。

 

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改装中の古民家

 

 田んぼや畑は周囲に点在していて、3ha程の面積の土地で、米、麦、豆、野菜等を有機農法で栽培していて、餅、味噌、漬物、えごま油、梅干、ジャム等も生産しています。

その後はお昼休みを挟んで野菜の収穫と人参の収穫をして、夕方は温泉に行き、夕食はカニ鍋を頂きました。

 

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カニ鍋

 

・5日目

 今日は最終日、午前中はぴたらファームさんで野菜の出荷や梅干し作りを手伝い、昼食を頂き、午後は八ヶ岳周辺をドライブ。夜、ぴたらファームさんに戻って、さっさ踊りという、収穫を祝う踊りのお稽古にご一緒させて頂き、ぴたらファームの皆さんとはお別れです。死後に集合写真を撮らせて頂き、次の目的地へ向かいます。

 

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長野県富士見町から南アルプスと富士山を望む

 

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ぴたらファームの皆さんと

農業共同体見聞録16 真木共働学舎

~訪問記~

 次の訪問先は立屋共働学舎さんと同じ小谷村内「山中」、徒歩で山を登る事一時間半、茅葺屋根の日本家屋の「真木共働学舎」さんです。

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・1日目

 11月24日木曜、今日は立屋共働学舎さんを出発し、同じ小谷村内の真木共働学舎さんにお邪魔しました!

が、凄いです。何が凄いって、超ガチの山奥です。前も同じ様な事を言いましたが、今度の方が凄いです。

何せ、車じゃ行けません。駐車場で車を停めて、そこから歩いて向かいます。熊も出るので熊鈴必携です。

 

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雪の降る中、登山開始

 

自分の荷物はリュック1つ、肩掛け鞄1つでしたが、共働学舎さんの生活物資(醤油一升瓶2本)も持ち、

雪の降る峠を登って、降りて、沢を渡って、また峠を登って、降りて、沢を渡って、また峠を登って、1時間半。

 

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登って降りて…

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沢を渡って…

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登って降りて…


山の中の開けた場所に、棚田や畑、茅葺き屋根の日本家屋が立ち並ぶ、真木共働学舎さんに到着しました。

 

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真木共働学舎

 この日は到着後、母屋の今で『琉神マブヤー』のDVDを皆さんと鑑賞した後、夕食の準備をお手伝いして、夕食を頂き、歓迎の宴を開いて頂きました。

 

・2日目

 11月25日金曜、今朝は6時に起きて、鶏の世話や山羊の世話や集落の中の様子を一通り案内して頂きました。真木共働学舎さんは茅葺き屋根の日本家屋「アラヤシキ」を中心に生活しています。独身の方はここに住んでますし、全員の食事やミーティングもここで行います。ここは「アラヤシキの住人達」という映画にもなりました。

 

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アラヤシキ

 

 夫婦や家族で暮らすメンバーが住んだり、ボランティアや訪問者が滞在する住居も数軒あり、それも昔ながらの日本家屋です。他にも土蔵や棚田は昔ながらのものを使っていますし、鶏舎や山羊小屋、倉庫もあります。

 

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重家

 

 ここでは赤ちゃん、幼児、若者〜50代の人まで、老若男女20人近くが暮らしています。中には心身に病気や障害を持った方もいますが、メンバー全員、分け隔てなく、仲良く協力しながら暮らしています。

 春〜秋は田畑を耕し、米や野菜を作り、鶏や山羊や蜜蜂を飼い、卵や乳、蜂蜜をとり、みんなで交代で食事を作り、カマドで炊いたご飯を食べ、居間で語らい、冬は大半の人は立屋共働学舎に移りますが、数人は残り、屋根の雪下ろしをして、村を守ります。そろそろ冬本番。真木共働学舎の長い冬が始まります。

 

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冬支度

 

 この日は一日、大根の収穫をしたり、大根を千切りにしたり、大根の干し場を作ったりしていました。夕食後はまた、お酒を頂きつつメンバーの方にお話しを伺い、夜は更けていきます…

 

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夕食

 

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真木の畑から臨む北アルプス

農業共同体見聞録15 立屋共働学舎

~訪問記~

 次の訪問先は北海道で訪問した、「共働学舎」の発祥の地、信州、立屋共働学舎さんです。

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・1日目

 今日は松本の旅館を出発し、昨日の松本城に引き続き、今日は上田の上田城を見学!真田幸村ゆかりの地です。で、次の訪問先、小谷村の立谷共働学舎さんに向かいます。長野と新潟の県境の手前、スキーで有名な白馬村の北隣、小谷村の千国駅西方の山の方、白馬乗鞍温泉スキー場や白馬アルプスホテルがある山の中腹です。

 

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北アルプスの山並

 

 着いた時は18時近く、周囲が真っ暗で場所が分からず、近所の旅館の方に教えて頂いて、何とか到着して、そのまま夕食を頂き、部屋に案内して頂き、入浴の後、食堂で代表の宮嶋信さんにお話しを伺う事が出来ました。

 

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農場と北アルプス

 

 共働学舎は1974年、立谷の地で宮嶋眞一郎という人物が、心身に不自由を抱える人が「自労自活=自立した労働と生活」を送る為、数人の仲間と共に設立しました。宮嶋信さんも自由学園を卒業した後、父、眞一郎さんと共に共働学舎設立に最初から参加していました。現在、立屋共働学舎と真木共働学舎を併せた信州共働学舎は、宮崎眞一郎さんの二男の宮崎信さんが代表を務め、立屋、真木、それぞれにもリーダーを置いています。

 

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母屋

 

 現在、立谷共働学舎で30人程、真木共働学舎で20人程、信州共働学舎全体で50人程、乳幼児からお年寄り、心身に病気や障害を持っている人もまで、様々なメンバー所属しています。農業の仕事も、共同での生活も、決して楽ではありませんが、共働学舎発祥の地で、共働学舎の精神を守りながら、助け合いながら暮らしています。

 

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かおるハウス

 

・2日目

 今朝は5時半に起きて、6時から牛舎の掃除!動物を飼っているので朝は早いです。普段のスケジュールだと、7時半から母屋で朝食、9時前からミーティングを、9時から仕事、12時から昼食、13時半から再び仕事、夕方も動物の世話をして、18時から夕食、という流れだそうです。日曜、祝日は動物の世話以外は休みとの事です。 

 

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和牛

 

 牛舎の掃除の後、敷地内を案内して頂きました。メンバーが食事やミーティングで集う母屋や、近隣の山小屋や宿泊施設を改装した寮があり、田んぼ、畑が3ha程と、牛舎、鶏舎、工芸所、製パン所などがあります。

 

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山羊

 

 田んぼや畑で作った米や野菜は、主に自給用です。農薬や化学肥料、機械をなるべく使わずに作業しています。牛は和牛の繁殖牛、育成牛を10頭ほど飼育し、市場に出荷しています。牛舎では山羊も数頭飼っていました。 

 農作業が出来ない冬季は工芸所で仕事をしています。草木染めや本藍染めの糸を使用して、機織りをしたり、トウモロコシの皮で人形を作ったり、木製のおもちゃを作っています。また、加工食品づくりも行っています。

 製パン所とパン屋ではメンバーが食べたり、地域の人に販売する為、パン、クッキー、ケーキを作っています。

 

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 で、朝食を頂き、ミーティングをして、午前中は冬に備えて薪運びと薪積み。昼食を頂き、敷地内を散策して、午後は冬に備えて納屋の解体。夕方、また、動物の世話をして、夕食を頂き、後は自由時間です。

 

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・3日目

 今日は立屋共働学舎さんの収穫感謝祭でした!動物の世話と朝食、薪運びを済ませ、10時からスタートです!

 「かおるハウス」と呼ばれる、ログハウスのホールに、立屋、真木の50人近くのメンバーと、地域の方や関係者、協力者のお客様も同じくらい集まり、100人近い人達が所狭しとホールに集まって、収穫感謝祭スタート!

 

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感謝祭スタート

 

 まずは代表の宮嶋信さんが挨拶をしたり、礼拝をしたり、讃美歌を歌って、続いて、共働学舎のメンバーが一年の報告。今年の田んぼや畑の作物の出来や、牛、山羊、鶏などの動物の畜産物の出来を担当者が報告します。  

 

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感謝祭の報告

 そして、昼食タイム!今年の共働学舎の収穫物を贅沢に使ったご馳走が並びます!お赤飯、お味噌汁、さつま芋のサラダ、漬物、煮物、パン4種類、蕎麦饅頭、リンゴ…食べきれないほどでした!14時前に終了し、みんなで片付けておしまい!素晴らしい1日でした!

 

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感謝祭の昼食

農業共同体見聞録14 大鹿ふりだし塾

~訪問記~

 農業共同体見聞録、中部地方編の最初の訪問先は、1970年代以降の日本のコミューン運動の到達点、長野県の山奥で自給自足生活を送る「大鹿ふりだし塾」さんです。

 

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・概要

大鹿ふりだし塾は、長野県南部、南アルプス赤石山脈西方の長野県下伊那郡大鹿村鹿塩の山の奥地にある、自分達で建てた家や、無農薬で作った作物、沢水、電気、薪の燃料で(100%ではありませんが)自給自足する生活を送りながら、研修生(お手伝いさん)を受け入れ、彼らとの共同生活を送っている農場です。

 

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母屋のログハウス

 

 山麓の川沿い、国道沿いの集落から、曲がりくねった、最後は舗装もない道を15分程登った標高1300m程の所に、大きな立派なログハウスや研修生の寮、山羊や鶏小屋が立ち並び、山麓の標高800m程の所や、山頂付近の標高1400~1500m程の所に畑があり、何十種類という米や野菜を、無農薬の方法で作っています。

 

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娘さんご夫婦の暮らす旧八角

 

大鹿ふりだし塾のメンバーは、代表者の「げた」さんこと大倉寛さん、奥様のひろみさん、娘さんとその旦那さんとお子さん3人、ふりだし塾の「塾生」で研修生の様な形で住む人が通常2~3人、多い時は7~8人です。

 

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イベントや宿泊が出来る新八角

 

 近年、大鹿村内にふりだし塾と繋がりのある若い移住者、就農者が増えてきていて、ふりだし塾周辺に彼らの家を建て、彼らと農事組合法人を設立し、お互い自立しつつ協力する、という関係を築いています。

 

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山の麓の畑

 

 

・一週間の流れ

11月14日月曜…東京から長野に移動。夜の闇と雨と霧の中、初めての道で、国道なのに急カーブ続きで、すれ違いも出来ない道を走ったり、曲がりくねって入り組んだ山道で迷ったりと、散々でしたが何とか到着しました。

11月15日火曜…秋も終わりなので、畑の片づけのお手伝い。ミニトマトの撤去や人参の収穫をしました。

11月16日水曜…午前も午後も下の畑の片付け。昼休みには大鹿村に移住予定の方の所でお話しを伺いました。昔から大鹿村には移住者が多くて、この方は古民家を買い取り、改修して、新規就農を目指すとの事でした。

11月17日木曜…今日も一日、畑の片づけ。母屋の近くの自給用の菜園を片付け、山の上の方の畑も片付けます。

11月18日金曜…午前はヒエの脱穀を、足踏み脱穀機と「とうみ」という機械でやりました。午後は畑の片づけ。

11月19日土曜…午前は畑の片付け、午後は収穫した「ケツメイシ」という生薬を枝から切り離す作業をして、夕食後、げたさんから、コミューン運動の事、そこから得た教訓、大鹿ナチュラルファームの構想を伺いました。

11月20日日曜…出発。朝食を頂き、昼食のおにぎりを頂き集合写真を撮って、出発しました。

 

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足踏み脱穀

 

 

・一日の流れ

一日の流れは、朝7時頃に母屋に行って、薪ストーブに火を付け、お湯やお茶を沸かして、朝食の準備を手伝って、鶏に餌をやり、朝食を頂きます。午前は9時から12時までお手伝いし、12時から13時までお昼休み。

午後は13時から17時頃まで、15時から30分程の休憩を挟んでお手伝いし、その後は夕食作りのお手伝い。夕食を頂いたら、後は自由時間。げたさんやひろみさんとお茶を飲みながら話したり、本を読んで、眠ります。

ここでは、農業はもちろん、料理や、建築まで、自給自足に関する事は何でも学ぶ事が出来ます!

 

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日本アルプスの山並み

 

・大鹿ふりだし塾について

代表のげたさんは20歳の頃から日本全国のコミューンを放浪し始め、最初は「厚木ふりだし塾」という所に、入り、その後も日本中、世界中を渡り歩いて、1983年、大鹿村の農家さんの家と農地を借りて暮らし始めます。 

1994年に現在のふりだし塾の場所に1ha以上の山林を買い、2年程で八角形のログハウス、「(旧)八角堂」を建設し、2003年に現在の母屋となる大型のログハウスが完成し、げたさんご夫妻はそこで暮らしています。現在、八角堂には娘さんご家族が住んでいて、近年、1ha程の山林を買い足し、新しい八角堂も建設しました。

また、2000年頃から、自給自足生活やログハウスの建築を学びたいという人達が来始め、2003年に「大鹿」ふりだし塾として、そうした人達を「お手伝い」として無償で受け入れ、共同生活する体制がスタートしました。

 そして近い将来、大鹿村農事組合法人「大鹿ナチュラルファーム」を設立する予定です(2016年11月現在)。この法人はげたさんご夫婦、娘さんご夫婦と、ふりだし塾と繋がりがある、大鹿村で新規就農した若い人達が、組合に出資して組合員となり、機械の共同利用や食品加工から始め、生産や研修生の受け入れも目指します。

 この、一人一人は自立しながら、協力できる所で協力する、という形が、若い頃は世界中のコミューンを訪問し、30年近く、農業に取り組んだ、げたさんの考える「農業コミューン」の上手く運営できる形態だそうです。互いが互いに依存せずに自立しつつ、協力した方が効率が良い所は協力する。一軒一軒は農家として独立しつつ、食品加工や機械利用の分野では協力する。「自由」と「協力」を両立する、自立した農業者の、緩やかな連帯で大鹿の農業を守り、若い後継者を育て、将来的には大鹿村を「無農薬農業の村」にしたい、そう語っていました。

 

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別れ際の集合写真

農業共同体見聞録13 獏原人村

~訪問記~

農業共同体訪問記、北海道東北編の最後は、福島の山奥の自給自足のヒッピーコミューン「獏原人村」さんです。

 

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・1日目

 11月01日(火)、山形のつぶ亭を出発し、仙台で写真を撮り、牛タンを食べ、塩釜で震災のモニュメントを見て、お土産を買った後、津波で流されて何もない宮城県南部の海岸沿いをひた走り、福島県内の高速道路を【線量〇〇μSv】みたいな看板を横目に走り、高速道路を降りたら、【3キロ先、帰還困難区域】みたいな看板があり、
海岸沿いから内陸に入り、福島県双葉村に着きました。

 

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看板

 

 今日お邪魔する「獏原人村」さんは1976年、福島県で生まれた、自給自足的なヒッピーのコミューンです。福島県双葉郡川内村という、県内では東の方、比較的に海に近い山間地域の山奥の、舗装のない林道を進んだ奥に獏原人村は存在します。携帯の電波は通じません。その山奥で40年近く、自給自足の生活を続けています。多い時で数家族、20名程が暮らし、畑を耕して野菜を作り、鶏を飼って卵を作り、水は自然の水を使い、電気は太陽光で自家発電します。1990年代から毎年夏の満月の日、1000人以上が集まる「満月祭」も開きました。

 

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イベントが開かれる広場とドームハウスと小屋

 

 2011年の東日本大震災に伴う原発事故で、川内村は全村避難の対象となり、一時、獏原人村も非難を余儀なくされますが、再び、代表のマサイさんご夫婦は獏原人村に戻り、満月祭も継続し、獏原人村で若者の音楽イベントが開催されたり、マサイさんが地元の地域おこしの活動に取り組んだりと、今でも活動は続けられています。

 

 今日は川内村で、獏原人村のマサイさんという方と地元の人達が、【盛り上げっ課】という地域おこしのグループの定例会をするとの事で、私もお邪魔して、会議の様子を見学させて頂きました。自給自足の生活をしてる人というと、俗世を捨てた仙人みたいな気難しい人をイメージしていたのですが、マサイさんはユルイ感じで、Lenovoのノーパソ(画面がタッチパネル)を操りつつ、和気藹々と雑談の様な感じで会議をしていました。で、上記の様な山道を走り、獏原人村に着き、三日月荘という小屋に泊めさせて頂きました。

 

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川内村盛り上げっ課

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Lenovoを操るマサイさん

 

・2日目

 11月02日(水)、福島県の獏原人村さんにお邪魔しています。今朝は6時過ぎには起きましたが、8時過ぎまで、ダラダラ朝食を食べたり着替えたりして、10時過ぎまで和泉さんという方に村を案内して頂きました。

 獏原人村には現在、3戸の住宅(1戸はマサイさん夫婦の住宅、1戸は原発事故以降の空き家、1戸はゲストハウス?)、と、倉庫、鶏舎、菜園、満月祭等のイベントを行う広場、音楽イベントなどが行えるドームハウス、イベントの際の会場や宿泊場所になる建物、その他、太陽光パネルや水を汲むパイプや池、川も流れています。

 

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マサイさんのお宅

 

 その後、川内村の温泉に連れて行って頂き、ご飯を食べ、川内村をあちこち案内して頂き、14時過ぎに獏原人村に戻り、和泉さんとお話ししながら、ダラダラ…凄くユルイ感じです(笑)

 15時過ぎからはマサイさんが薪を運ぶのをお手伝いしつつ、マサイさんのお話を伺いました。その後、三日月荘でマサイさん、和泉さんとお話しし、記念撮影会。和泉さんに夕食を振舞って頂き、その後、マサイさんのお宅にお邪魔し、奥様も交え、またお話しを伺いました。

 

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三日月荘

 

 40年程前、マサイさん達は既成の価値観や社会制度に縛られず、何もない所に新しいものを作ろうと考え、福島の山奥で自給自足の生活を開始。多い時期で数家族、20人程が住み、自給自足生活を実現させ、1990年代以降、夏の満月の時期に「満月祭」を開催、多い時で1000人以上が集まるイベントに成長しました。

 福島原発事故も獏原人村に戻り、満月祭を開催。地域の活動にも参加する様になりました。理想郷を作り社会を変える、という様な壮大な計画は実現しませんでしたが、原発事故後も村に留まり、生活を続け、祭りを続け、地域の活動に参加し、若者に活動の場を提供しています。獏原人村は、今でも人里離れた山奥にありつつ、地域の人々や、獏原人村を愛する人々との繋がりの中で、新しい「ユートピア」の形を模索し続けていました。

 

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マサイさん、和泉さんと

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別れ際の和泉さん