農業共同体見聞録

日本全国の農業共同体、農業コミューン、エコビレッジ、農業シェアハウスの訪問記

農業共同体見聞録20 農村青年共働学校

~訪問記~

 次の訪問先は静岡県裾野市。昭和初期、富士山南東の愛鷹山で『共働農村』の普及を目指した農本主義者、岡本利吉の『山の学校』こと「農村青年共働学校」です。

【ウェブサイトも開設しました!纏まった情報はそちらに掲載!】

http://matsuokakenji.wixsite.com/nougyoukyoudoutai

 

f:id:matsuken1212:20161221175304j:plain

 

 

・1日目

12月21日水曜、晴れ。今日は冬至の日です。今日は静岡の「農村青年共働学校」があった地域を訪ねました。「農村青年共働学校」は1928年、静岡県裾野市葛原で岡本利吉という農本主義者が設立した学校です。春~秋は農場で農業を行い、冬の農閑期に全国の農業青年を集めて教育し、全国への「共働農村」普及を目指しました。

 

f:id:matsuken1212:20161221175304j:plain

裾野から富士山を望む

 

 裾野市はその名の通り、富士山の南南東の中腹から、愛鷹山の北東側半分を経て、芦ノ湖南西の三国山まで、富士山の裾野に広がる町で、葛山は、東は東名高速、西は愛鷹山中腹まで東西に伸びる地域で、殆どが山です。

 

f:id:matsuken1212:20161221175547j:plain

愛鷹山

 

 詳しい場所の情報がネット上になかったので裾野図書館の裾野市史で調べた所、「裾野の街から一里半富岡村葛山奥」の「雑草と樹木とでおほはれた自然そのまゝの原野」と書いてあったので、葛山の集落から山の中に入った所のようです。詳細な場所は分かりませんでした…

とりあえず、葛原の地域に行って、そこから見える富士山や愛鷹山、集落の写真を何枚か撮っておきました。

 

f:id:matsuken1212:20161221175645j:plain

葛山付近の集落

 

 岡本利吉は農村青年共働学校の敷地として40haの山林を購入し、木を切り、草を刈り、土地を耕して畑を作り、13棟の建物を建てました。6年間そこで作物を育て、冬季、農業青年と共同生活をしながら、教育を施していたという事で、結構な規模の施設があったものと思われます(施設の詳細も不明です、すみません…)。

 

f:id:matsuken1212:20161221175710j:plain

愛鷹山山中

 

 彼は1885年に高知市で生まれ、東京で社会主義者として活動し、1928年農村青年共働学校を開設しました。彼は当時の日本の人口増加による食料不足の解決策として、山を利用する生産共働の産業組合組織を全国に設立する事を目指し、農業青年を集めて教育しようとしました。実際に山林を開墾し、稲、麦、さつま芋といった作物を作り、また、デンマークの国民高等学校を手本として、毎年12月から3月まで、日本全国の農業青年を集め、労働と教育を施しながらの共同生活に従事しました。

 

 1927年の東京朝日新聞に、彼が目指した『共働組織』について、「この村は「主人のない村」で村民はすべて共働し『労力は節約されて新生産を興し、新生産の収入は蓄積されて共働組織へ資本が充実し資本の充実は労働能率を高め、これはさらに新生産を起す』原動となるというふじゅん環経済がこの村の組織の基となってゐる。」と、農村青年共働学校について「生徒も無月謝の代わりに、講師も無報しうで、朝は教育、午後は労働にしたがふので、一ケ年で卒業し、卒業生は全国に分布して、共働農村の普及を図るのである」と説明されています。

 

 ただ、この活動は地元の人の理解を得られず、結局、6年で終わってしまいますが、この学校には多い時には、100人以上が参加し、「山の学校」の愛称で親しまれたと言います。

 

 そして岡本利吉は後年、農本主義者の団体を設立したり、美愛卿純真学園という学校を開校したり、人工言語ボアーボム」を発明したりした後、1963年に亡くなりました。